医療機関でBCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)を策定する【2026年8月 改訂版】
このたびの令和8年熊本地震により被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。また、極めて困難な環境下で地域医療を支え続けていらっしゃる医療機関の皆様に、心より感謝と敬意を申し上げます。
災害大国である日本において、突発的な危機から施設と患者を守るためのBCP(事業継続計画)の重要性は増すばかりです。以前、BCP策定に関する記事を書きましたが、内容を更に深堀り・アップデートして医療・介護施設が優先して取り組むべきBCP策定の手順を再構築してみました。お役に立てれば幸いです。
1. BCPの基本的な考え方
BCP(事業継続計画)とは、大地震などの自然災害、新興感染症のまん延、サイバー攻撃などの突発的な経営環境の変化が発生しても、重要な事業・診療を中断させない、あるいは中断しても可能な限り短い期間で復旧させるための方針や体制、手順を定めた計画のことです。これに対し、BCPを継続的に運用・見直し、改善を続ける経営管理活動をBCM(事業継続マネジメント)と呼びます。
医療機関におけるBCP策定で最も重要となるのが、「原因」ではなく「結果」に着目するという基本的な考え方です。
自然災害、新興感染症、サイバー攻撃といった「原因(脅威)」は多様であり、これらに個別に完璧な対策を立てようとすると計画は複雑化し、対応が難しくなります。しかし、どのような原因であれ、それらが引き起こす「結果(機能不全)」は共通しています。たどり着く共通の機能不全は、主に以下の4つの資源の喪失に集約されると言えます。
インフラの停止(停電、断水、通信障害)
情報へのアクセス不可(電子カルテやレセコンの停止、データの暗号化)
人的資源の不足(従業員の参集困難、感染によるスタッフ不足)
物的資源の不足(医薬品や診療材料、備品の枯渇)
例えば、大地震による物理的破損と、ランサムウェアなどによるサイバー攻撃は全く異なる原因ですが、「電子カルテやレセコンが使えなくなる」という機能不全(結果)においては完全に同一です。したがって、あらかじめ「紙カルテ」「オフラインでのバックアップ」といったアナログな代替手段(事前対策)を一つ用意しておくだけで、地震とサイバー攻撃の双方に同時に備えることができます。
「もし電気が止まったら?」「もしネットワークが繋がらなかったら?」という具体的な機能不全シナリオから逆算し、現実的で無駄のない計画を組み立てることが必要です。
2. BCPの作成のステップ
災害対策マニュアル(防災マニュアル)の主な目的は「身体・生命の安全確保」や「物的被害の軽減」ですが、BCPの目的はこれらに加えて、「いかに重要業務を継続・早期復旧させるか」という点にあります。
BCPの作成にあたっては、以下の5つのステップを踏んで体系的に整理していきます。
作成と運用における最大のポイントは、「最初から完璧を目指さないこと」だと考えます。無理に長文の文書を作成しようとせず、まずは箇条書きや既存の図表をそのまま活用し、早期に「第一版」を完成させることが極めて重要です。
作成後は、年に1回以上の訓練(机上訓練や実地訓練)を実施し、そこで明らかになった欠陥や課題を基に定期的に改訂を行い、アップデートの履歴(いつ、誰が責任を持って、どこを変更したか)を確実に記録していくことで、計画の実効性を高めていきます。
3. 基本方針の策定のポイント
基本方針は、災害発生時という極限状態において、全職員が迷わずに一貫した行動をとるための「羅針盤」となります。
理念をベースとした大まかな方針の明確化
自院の経営理念や医療理念を改めて確認し、それをベースにした災害時の行動・対応指針を箇条書きで3つ以内のキャッチコピーのようなシンプルな言葉で表現するとよいでしょう。
管理・運営方針の構築
BCPは、管理責任者である院長や経営層が中心となって策定することが不可欠です。具体的には以下の2点を明確にしておきます。
「既存の仕組み」の転用・有効活用
災害時にゼロから新しい指揮・管理体制を構築しようとすると現場は混乱します。正確な情報連携と迅速な意思決定を行うため、平時稼働している仕組みを有効活用するとよいでしょう。
作成されたBCPは、一部の策定メンバーだけで共有するのではなく、全スタッフに対して周知し、その存在と目的を理解させておくことが重要です。
4. リスクの評価のポイント
適切な対策を講じるためには、自院と地域が「どのような脅威にさらされているか(ハザード)」を正しく知り、そのハザードがもたらす「影響(脆弱性)」を分析する必要があります。
物理的リスクの評価(ハザードの確認)
自治体が公表しているハザードマップや、国土交通省の「川の防災情報」、地震ハザードステーション(J-SHIS)などを活用し、自施設のロケーションリスクを具体的に把握します。 チェックポイントとして、地震の揺れやすさ(震度5以上・6強が想定されるか)、台風や豪雨時の浸水深、土砂災害警戒区域や土砂崩れのリスク、豪雪による物流停滞の懸念などを評価します。
経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)の脆弱性分析
それぞれの災害が発生した際、経営を支える4つの重要資源がどう影響を受けるかを整理します。
ヒト(人的資源):特定業務のスキルを持つ者が限られている、業務実施に大人数を要する、従業員の安否確認ルールや参集ルートが決まっていない。
モノ(物的資源):薬品棚や什器の固定が不十分、十分な備蓄物資(3日分)がない、上下水道停止時の給水タンクがない、非常用電源(発電機やポータブル電源)がない。
カネ(金銭的資源):設備損壊への保険補償が不十分、災害時に使える手元現金がない、公的支援制度や融資制度の検討・予約がされていない。
情報(情報資源):電子カルテやデータのバックアップが未実施、バックアップの取り出し方が不明、重要システムが浸水しやすい1階に設置されている。
ハザードと資源の脆弱性を掛け合わせることで、「自院で優先して取り組むべき事前対策」を明確にし、これをBCPチェックリストとして活用していきます。近年では、電子カルテの普及に伴い、医療情報システムの安全管理ガイドラインに沿った「二要素認証の明確化」や「持ち出し・外部アクセス制限手順の作成」など、サイバーセキュリティ対策の評価・見直しも強く求められています。
5. 業務継続目標の設定のポイント
災害発生時は、職員の欠勤やライフラインの停止などにより、平時と同様の通常診療をすべて継続することは不可能です。したがって、「継続すべき重要業務を絞り込み、優先順位をつけること」が最も重要となります。
重要業務の選定と優先順位付け
日常業務と災害時に発生する応急業務をすべて洗い出し、優先度を分類します。
優先すべき業務(高優先):「従業員・患者の安全確保」や、人工透析、がん治療、Ⅰ型糖尿病などの「生命維持に直結する、または医療依存度の高い患者への対応(必要医薬品の調達・処方継続など)」が該当します。
先送り可能な業務(低優先):「レセプト請求」や通常の発注・事務作業などは、数日〜1週間程度遅れても患者の命や病院の存続には直接的な影響を及ぼしません。
また、スタッフの避難手順や安否確認方法はハザードに関わらず最優先で設計します。さらに、不慣れな場所で被災してパニックになりやすい「患者や来院者」への安全確保・避難誘導手順(院内放送、トイレ等の閉じ込め確認、マスク着用・配布など)を初動計画として整理しておくことが極めて重要です。
復旧目標(タイムライン)の設定
選定した重要業務ごとに、災害発生後の時間経過に応じたサービスレベルの制御目標(タイムライン)を設定します。
6. 対策の検討のポイント
業務継続目標を設定したら、それを実現するための「行動計画」を具体化し、事前対策と日頃のトレーニングを整備します。
5つの事前アプローチ
目標時間内での業務再開・継続を支えるため、診療の早期再開に着目して以下の5つの視点から事前に対策を講じすることなど検討できます。
医薬品・診療材料等の確保: 最低3日分(理想はそれ以上)の優先医薬品や衛生材料、食料や飲料水を備蓄し、定期的に有効期限等を確認する。
設備・インフラの点検・固定: 薬品棚や重要什器を壁や床にアンカー固定し転倒を防ぐ。停電時に備えてポータブル電源、非常用発電機、燃料を確保する。
情報のオフラインバックアップ: 患者情報や薬品マスタなど、診療に絶対必要な重要データをオフライン(外付けHDDなど)で定期的にバックアップ・保管する。
アナログな代替手段の準備: システムダウンや完全停電に備え、手書きの薬袋、薬包紙による手分包、紙媒体のカルテ、紙での投薬指示書・処方箋など、アナログな業務手順をマニュアル化し共有しておく。
地域連携型BCP(相互扶助)の検討
災害時は、一医療機関の個別の努力だけでは診療資源(スタッフ、医薬品、インフラ)が枯渇し、地域医療が崩壊するリスクがあります。 そのため、近隣の医療機関や薬局、地区医師会、行政などと事前に連携ルールを取り決めた「地域連携型BCP」を構築しておくことが極めて有効です。 地域型BCPが発動された場合、各医療機関は自機関のBCPを発動して通常業務の一部を縮小し、捻出した人材(医師、看護師、薬剤師、事務員など)を地域医療の継続のために相互に融通し合ったり、医薬品を融通し合ったりする体制を築きます。中核病院が急性期に特化し、地域の診療所がかかりつけ医機能(慢性期管理・トリアージ等)を担うという「役割の明確化」も不可欠です。
適正な備蓄と災害発生時の融通を考え、地域フォーミュラリを策定することも重要なポイントといえます。フォーミュラリは後発医薬品の使用促進のツールの一つとして知られていますが、BCPの観点からの利活用も有用です。地域住民にとっても安心感をえられやすいと言えます。廃棄ロスを極限まで減らすように、地域フォーミュラリを策定して古いものから使っていけるようにすることが必要です。また、医薬品卸の担当者も交えて、日頃からの情報連携・災害発生時の訓練に参加いただくこともおすすめいたします。
オープン情報を基に作成されている医療用医薬品の供給状況データベースをご紹介します。地域フォーミュラリを策定している地域の実例もあり、これから地域フォーミュラリを策定するにあたっても有用なサイトになっています。
参考:医療用医薬品の供給状況データベース(S-SSD)
日常訓練とBCPを根付かせる活動
BCPは策定しただけでは機能しません。日頃からの教育・訓練により、職員へ定着させる必要があります。
訓練の実施: 防災訓練(避難訓練等)とBCP訓練は異なります。BCP訓練では、「特定の曜日、午前9時に震度6強の地震が発生した」といった具体的なシナリオを提示し、参加者がどう考え行動すべきかを話し合う机上シミュレーション(机上訓練)が非常に有効です。その他、電話連絡網の伝達演習や、バックアップデータを取り出す訓練なども実施します。
アクションカードの作成・活用: パニック状態に陥りやすい災害初期において、自分の持ち場で「誰が」「何を」すべきかを簡潔・一目で理解できるように記したカード(アクションカード)を作成し、すぐに取り出せる場所に配備しておきます。
日常の活動への落とし込み: 年に1回の本格的な訓練だけでなく、BCPを日常業務の中に根付かせる以下の取組が効果的です。
病院長や管理責任者が、スタッフへ定期的にBCPの進捗や問題点を説明・共有する。
委託事業者や出入りする専門商社等も巻き込み、避難経路などの合同勉強会を実施する。
BCPの概要や連絡先を院内に掲示し、定期的なニュースレター等で全職員の目に触れるようにする。
各種院内勉強会の場で、短時間でもBCPに関する報告や周知の時間を設ける。
完璧な計画を一度に目指すのではなく、まずは「第1版」を作り上げ、訓練を重ねながら地域とも手を携えて継続的に改善していく活動こそが、地域の医療提供体制を守り、地域全体で医療を提供し続けるための最善の道となります。
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