※ 重要性が増す医療現場の「記録」を改めて理解するの続きです。
記録を残すことがいかに重要かを教えてくれる判例がある(少々古いですが...)。
陰嚢の手術を受けた2歳の男児が手術室から回復室へ移されたものの、覚醒を確認しないまま一般病棟に移動、その後、呼吸停止となり、救命措置を施したものの、心不全で死に至った、という医療訴訟があった。この訴訟で問題となったのは、確認しないまま一般病棟に移動したこともさることながら、その後の一般病棟でのヴァイタルサインの記録がされていなかったことだ。当然ながら実際には行っていたわけだが、その記録がなかったがためにヴァイタルサインの検査を行ったものとは認めることは困難であるとされてしまった。例え実際に行っていたとしても記録がなければ、それは行っていないということになるわけだ。
記録で大事なことは、「病名」「病気の性質」「症状」「予測される事態」などにより、どのような観察・確認をし、どういった処置をすべきかを常に念頭において事にあたり、そして実際に観察・確認・処置をしたという事実を記録に残すことだ。その際に注意しておきたいのは、事実と憶測や懸念点は分けて記載すること。当たり前になるように、日ごろからカンファレンスなどを通じてその感性磨き、習慣化することを無意識にできるようにし続けること。看護の申し送り、チーム医療でのカンファレンスの場面とは完成を磨く重要な場面であることに改めて気づかされる。
もう一つ大事なことがある。それは、実施できない計画を立てない、立てた計画が絵に描いた餅とならないようにする、ということだ。
ここで一つ参考になる医療訴訟の判例を紹介しよう(またもや古い話です...)。
心筋梗塞の疑いが強く、絶対安静の78歳の女性が、入院中夜間にベットから転落し、くも膜下出血で死亡した、という医療訴訟があった。実はこの女性がベットから落ちたのは2回目。ベットから転落する可能性は容易に予見できた。そこで、1回目の転落後、看護師らが立てた看護計画には「より頻回な巡回」が盛り込まれた。しかしながら、実際には2時間に1回と従前通りであったとのことだ(看護記録の記載内容から判明)。頻回というのであれば、少なくとも2時間に1回よりは多く必要だったのではないだろうか。ベットからの転落が予見可能でその防止策としてより頻回な巡回をという看護計画が立てられていながら、その計画が履行(実施)されていなかったがために、現在の看護水準に適した適切な看護を受ける機会を奪われた、すなわち「期待権の侵害」が認められた(なお、訴訟では担当医師の看護師の監督責任が問われた)。看護計画が絵に描いた餅にならないようにしなければならないことがよくわかる判例だ。
自身のみを守ることをことさら強調するわけではないが、行った医療・看護行為を正確に残していくこと、そして医療は複数の職種がかかわるものでもあるため、見られること・伝える事・チェックし合うことを常に意識しておくことが肝心だ。何よりも、患者の日記を代行して書いているので、主役の視点がないがしろにならないようにしたい。